Complete text -- "嫌煙家と愛煙家の今後"

26 December

嫌煙家と愛煙家の今後

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日本における嫌煙家と愛煙家の状況が少し変わってきたように思う。

私見として最近感じている変化について述べようと思う。

まず、ここでいう嫌煙家とは積極的にタバコを廃するための運動なり発言をする人々を指し、タバコを吸わない人や嫌いだけど自らは発言も行動もしない人は除く。
そのうえで、嫌煙家を主張の違いで大雑把に2種類に分類してみる。
A=タバコのみを廃したい、という意見を持つ人たち。
タバコを攻撃する理由が「とにかく自分は嫌いだから」というもので、アルコールや排ガス、カフェインや砂糖などには頓着しない。むしろ愛好家と公言する人もいる。
B=健康に悪いものはタバコを含めなるべく廃したい、という意見を持つ人たち。
健康に悪いとされるものは極力廃しましょう、という立場で日本にはまだ少ないが確実に勢力を拡大している。

愛煙家はどうだろう。
こちらも主張別に大雑把に2種類に分類するとこうだ。
C=タバコが好きでいつでもどこでも吸いたい人たち。
昔のタバコ環境を懐かしみ、いつでもどこでも吸いたい時に吸わせろと主張する。
D=タバコは好きだが、嫌いな人の気持ちも少しはわかる。できれば分煙でかんべんしてよ。と思っている人たち。
極力(その時代の)マナーを守りつつ、喫煙の権利は守りたいと考えている。

過去において嫌煙対愛煙というのはA(Bのふりをしつつ)対Cという図式しか表面化していなかった。賛同者もこの図式に則った意見が多かった。

タバコの害を訴える人達に対して、じゃあ酒はどうだ、車はどうだ、という反論をすると、それとこれとは別だ。という堂々めぐりみたいな議論が多かった。

しかし、状況は少しずつ変化した。統計の限界を知り、WHOがアルコールに対してもタバコ同様の枠組み条約案を可決したが、日本では盛り上がりそうにない。嫌煙団体のトップは酒飲みだし。また喫煙者に対する差別的な条例が可決され、さらに差別的増税も繰り返される。
さすがにタバコを吸わない人からも、それはおかしいんじゃないの。差別主義なんじゃないの。という意見も出てくる。
一方、愛煙家の主張においても、憲法で保障されている自由を行使し、どこでも吸わせろ、という意見には同じ愛煙家から批判が多くあがっている。

少しずつお互いが冷静になってきている印象を受ける。メディアを含めてそれを感じている。
ただし、世界の潮流においてはまだまだタバコは押しやられる存在ではある。

健康でいたい、という権利を主張するのはまっとうなことだ。しかし、健康を強要される社会は既に精神面で病んでいる。

異なる意見を主張しあい、着地点を求めることは健全だと思うが、異なる意見を持つ者を消し去ろうという考えには同調できない。
それは嫌煙者に対しても愛煙家に対してもそうだ。

個人の意見として、Dの立場はとるが、この問題は日本独自の問題として考えていきたい。
日本は仏教国だと思っている人が多いと思うが、仏教における基本中の基本の戒律である禁酒を認めない唯一の仏教国だ。
それは米を神聖化してきた国で米からできたアルコールを否定することができなかったからだと考える。
しかし、現実には米アルコール以外も問題ない。
つまり日本人は小さな快楽に対してとても寛容な民族なのだ。清教徒のような禁欲的な思考には絶対に馴染めないと思う。

ささやかな快楽を容認する民族として、お互いの嗜好を認め合おうじゃないか。

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